SELF-INTRODUCTION自己紹介
今の仕事をするきっかけは、19歳の時、新聞で見た寺山修司率いる演劇実験室天井桟敷の募集に応募したことでした。当時、入団試験を受けに、麻布にあったアトリエに行くと、建物は真っ黒に塗られていて、異様な雰囲気に、やや躊躇しましたが、せっかく来たんだからと、勇気を振り絞って、扉を開けると、出て来たのはこびとの方でした。現実とは思えないシュールな世界にとまどいながらも、案内されて中に入ると、壁も床も椅子も机もすべて真っ黒で、回りを見ると、頭を剃った人やドイツ語の本を読んでいる人がいて、とんでもないところに来てしまったと思いました。試験の結果、人手不足だったのでしょう、スタッフとしてなんとか入団することになりました。右も左も分からない状態で、実験的な映像や演劇をつくる寺山さんのモノ作りの一端に触れることができました。
入って、驚いたのが、本や資料の多さでした。毎日、演劇関係の記事が届いたり、本が送られてきたり、莫大な資料を背景にモノを作っているのを目の当たりにしました。寺山さんは著作で引用を多用するのですが、元はここにあったのかと思いました。ただ、後で、劇団員に聞いたところ、その引用も架空の作家を想定して、寺山さん自身が書いているものも多いのだそうです。言葉の魔術師と評される寺山さんですが、演劇の台本は、完成したものがあるのではなく、稽古をしながら作っていきます。簡単なプロットを書いた箱書きから、俳優にそのシーンを演じさせ、それを見て、箱書きを変えながら、台本に仕上げていきます。俳優に対して、演出する時は、具体的な動作は言いません。俳優がイメージできる言葉を投げかけ、言葉に刺激された俳優が自身の感覚で演じます。寺山さんは俳優とキャッチボールする稽古という現場をとても大事にしていました。また、寺山さんがよく言っていたのは、天井桟敷の活動で、文化面ではなく、社会面に載ることを目指しているということでした。歌人、詩人、劇作家、映画監督、評論家など多才な寺山さんでしたが、特に映像や演劇ではその枠組みを超えた常に新しいモノを求めて続けていました。のぞきで逮捕され、自ら社会面に載ったことも含め、混沌として怪しい魅力にあふれている人でした。僕には、寺山さんのような魔法の言葉はないけれど、資料を集めることや、現場の感覚を大事にすること、常に枠組みを超えた新しいモノを求めることなどが、自分の映像制作の土台になっていると思っています。
その後、テレビ業界に入り、フジテレビの深夜番組の黄金期に、『地理B』、『宇宙発明会議』『SHOKUDAS』など深夜枠で実験的な番組を演出しました。番組を作っていく中でCGを使いたいと考えるようになりましたが、当時1秒100万円と言われた時代に、深夜枠の番組にそんな予算は到底望めませんでした。その頃、ウゴウゴルーガのライブCGで話題となったAmiga(アミーガ)というパソコンを使えば、CGが出来ると知り、経営者がCGを作っていたお茶の水のパイナップル6800という店で、Amiga2000とアクセラレーター、ビデオトースターを購入しました。価格は、車1台分でしたが、それでCGが作り放題ならば、安いと思っていました。Amigaは、僕がはじめて買ったパソコンであり、デジタルとの最初の出会いでした。マニュアルなど全て英語でしたが、ユーモアにあふれていて、とても楽しかったのを憶えています。当時は、Amigaというマニアックなパソコンは扱っている店は少なく、周辺機器や雑誌を求めて、よく秋葉原界隈を彷徨ったものでした。CG制作を始め、自ら作成したキャラクターを使って、ゆる~いドラマ仕立てで、ゲームを紹介していく朝日放送のゲーム番組『ゲーム王』の演出を担当し、現在に至るまで、SFC、PS、Switch、スマホなど、ゲーム機の進化とともに、ゲーム番組を作り続けています。その後は、2009年には、ネット動画の初期に、ゲーム機Xbox360内にて配信された『インサイドXbox』を手がけたり、VRやドローンなど新技術を使い、大河ドラマ館の360度展示映像を手がけました。CG、ゲーム、VR、ネット配信、最近ではAIなどデジタル技術を使った実験的で、ゆる~いコンテンツが大好きです。昔、劇場の枠を飛び越えて、市街劇や書簡演劇などを手がけた寺山さんが、今のデジタル技術やソーシャルメディアと出会ったらどんなモノを作るのか?そんなことを考えながら、コンテンツを作っています。