CONTACT

SELF-INTRODUCTION

自己紹介

ハードもメロウも弾きこなす、
クロスオーバーなプロデューサー
林 要
Kaname HAYASHI
CEO / プロデューサー
プロフィール
ロック好きが高じ音楽業界からキャリアスタート。アーティストマネジメントを手始めに演劇・音楽関連の舞台、CM、ミュージッククリップなど様々なメディア向けコンテンツの企画制作を多数経験。そこで出会ったクリエイターたちとの有機的なコラボで幅広い表現活動を行う。近年は教育関連コンテンツのプロデュースはもとよりIP関連事業の企画開発に邁進中。

Photo by 平間 至
林 要

PROJECTS代表的な仕事

2004〜現在
『こどもちゃれんじ』
『進研ゼミ小・中・高校講座』各種教材・販促映像(ベネッセ) … プロデューサー
2005〜2008
『D-jam』(ディズニーチャンネル) … プロデューサー
2008〜2018
『シャキーン!』(NHK Eテレ)クイズコーナー … プロデューサー
2017〜2018
『スタディサプリラボ』(リクルートマーケティングパートナーズ)映像配信 … プロデューサー
2018〜現在
動画学習サービス『Udemy』(ベネッセ)プロモーション映像 … プロデューサー
2018
『GQ MEN OF THE YEAR 2018』(コンデナスト・ジャパン)映像配信 … プロデューサー
2019〜2021
NEC『未来創造会議』(コンデナスト・ジャパン)映像配信 … プロデューサー
2020
進研ゼミ高校講座スマホ専用アプリ『AI StLike』(ベネッセ)教材映像 … プロデューサー
◎第17回「日本e-Learning大賞」にて経済産業大臣賞を受賞(2020年)
2008〜現在
『イヴの時間(岡田徹)』『レ・ロマネスク』『浦沢直樹』ほか 音楽著作権管理、原盤制作
2020〜2022
アニメ『あはれ!名作くん』(NHK Eテレ)商品企画、EC運営
2022〜現在
アニメ『100秒でわかる名作劇場』(NHKEテレ)製作委員会運営
2022〜現在
子ども向け英語教材『Sanrio English Master』(サンリオ)教材・販促映像プロデューサー

SELF-INTRODUCTION自己紹介

林 要
確か10歳の時だったと思います。テレビアニメ「サザエさん」の番組内CFで「ビートルズ」の映像を偶然観たのが全ての始まりです。そのCFは番組提供会社のオーディオ製品のもので、彼らの映画「Let It Be」のクリップが使用されていました。それを観てその音楽とファッションに一発でKOされてしまいました。洗礼を受けたっていうことですね。「どんなことを歌っているんだろう?」英語の知識など殆どなかった小学生が頼りにするのはレコードの歌詞カード。親へのおねだりで買ったレコード(歌詞カードが付いているという理由で主に日本盤)を貪り聴きながら歌詞カードを読んではカタカナでルビを振る、英和辞典で意味を調べるを飽きもせず繰り返していました。
林 要
中学に入った時には聴くだけでは飽き足らず、ギター弾き始めることになります。もう「沼」です。中学・高校と情報収集でラジオを聴きまくりました。洋邦問わず新しい音楽やモノを探すのに貪欲な子どもだったと思います。家族は商売を営んでおり、兄弟もおりませんので情報収集源はとにかくラジオと学友。そしてその兄姉でした。ラジオはTVより断然情報が早く、聞き手とDJの距離感が近く感じられ、とにかく新鮮だったのです。インターネットの無い時代、どのようにしたら海の向こうで流行っているカッコいいに違いない文化を知ったり、憧れの音楽家情報をいち早くゲットできるのかなど結構工夫していたと思います。また、それが楽しかった。子どもなりに有益そうなコミュニティ作って情報交換したりなど…。そんな工夫癖(?)や生まれつきの粘り強さは今、仕事をする上で大きく役立っているのではと思っています。
林 要
大学に入ってからはもうバンド活動三昧の日々。就職活動など眼中に無くミュージシャンとして生きていくことだけを追い求め、大学卒業後も2年間バンドマンとして活動を続けました。そして、自分が音楽表現向きでないと気づいたのが25歳の時。大きな決意でとある音楽事務所の門を叩きました。大学3年の頃から卒業までの2年間お世話になった音楽プロデューサーを訪ねたのです。「スタッフとして働かせてください」と。見習い期間を経て念願叶い就職決定。「音楽の世界でイチからやり直そう」と意気込むやいなやその後を決定付ける運命的な出会いがあり、「演劇」や「映像」の制作というこれまで未経験の魅力(魔力?)にどっぷりハマりまってしまったのです。シティボーイズの皆さん、竹中直人さん、中村ゆうじさん、いとうせいこうさんたちが集結した舞台制作を担当することになったからです。演者はもちろん演出、映像、音楽、舞台美術、宣伝の各セクションに刺激的な才能が集結するステージ。そうした方々のスケジュール調整、制作運営を約5年間務めました。’80年代後半のことです。20代後半から30代前半のこの時期に様々なジャンルで才を発揮する数多くの方々と出会う機会を得、切磋琢磨できたことは僕にとって大きな財産です。こうした日々の積み重ねがその後の仕事〜プロデュース法の礎になっているとは間違いのないことです。その後、30歳を少し過ぎた頃に音楽家・ヤン富田さんのマネジメントとレコード制作を手がけることとなり4作品の制作に携わりました。これも出会いです。ヤンさん言う所の「必然性ある偶然」が僕を導いてくれたのだと信じています。みうらじゅんさんの展覧会企画やイベントプロデュースワークも然りです。
林 要
就職以来、長年マネジメントを担当していた「中村ゆうじさん」がレギュラー出演していた番組でまたまた大きな出会いが訪れるのです。それはその番組のプロデューサー=ディレクションズ、ライツ両社のファウンダー長江社長(ライツでは現・会長)との出会いです。新会社創立のタイミングで声をかけていただき、2004年、40代半ばにして新たな可能性と大きな魅力を「ディレクションズ」に感じ入社を果たします。そこでは学習・知育関連映像のプロデュースを中心に活動。2015年にはこれまでの業務経験を映像以外でも活かしていくことを決意してライツに転籍、2020年には代表取締役に就任するに至りました。出会いを大切に、好奇心の旺盛さとたゆまぬチャレンジ精神は僕だけで無く「株式会社ライツ」とともにあるモットーだと実感しています。
林 要

HIRAMA’S EYE平間の眼

林 要
林さんとは過去にお仕事でご一緒している機会が度々あったけど、直接いろんなお話をしたのは今回が初めてでした。僕の場合は、音楽が起点となって写真を撮ったり、コミュニケーションを取るきっかけになるんですね。今回は、Deep Purpleの「Live in Japan」というアルバムが好きだという共通点があって、撮影前に林さんとセッションしたことで気持ちが大きくシンクロしていった。かなり本気でギターを弾いてもらったことによって、カメラの前で自身を解放されていったんじゃないかな。仕事中には見たことのない林さんの一面がたくさん写っていると思います。
MEMBERS