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#021_人は、ふとした瞬間に帰ってくる―三人の記憶
2026.09.16
#021_人は、ふとした瞬間に帰ってくる―三人の記憶

#ガッツ石松

#山田五郎

#美輪明宏

#記憶

仕事でご一緒した美輪明宏さん、山田五郎さん、ガッツ石松さん。
訃報をきっかけに思い返されるのは、経歴や代表作ではなく、ふとした小さな出来事や空気感でした。プロデューサー/ディレクターの山本信幸が紡ぐ、忘れがたい三人の記憶。

最近、立て続けに、仕事でご一緒した方の訃報を耳にした。美輪明宏さん、山田五郎さん、そしてガッツ石松さん。いずれもテレビや映画などで長く活躍された方々だが、僕の中に残っているのは、華々しい経歴や代表作というより、一緒に仕事をした時の、ほんの小さな出来事ばかりだ。

美輪明宏さんと、天井桟敷の日の記憶

美輪明宏さんのことを思い出すのは、寺山修司さんのお葬式の日のことだ。僕が天井桟敷にいた頃、青山斎場で行われた寺山さんの葬儀で、道案内をしていた。すると、紫色のベンツがスッと近づいてきた。窓が開き、そこから現れたのが美輪さんだった。

少し驚いたが、「こちらです」と、きちんと案内することができたと思う。美輪さんはそのまま斎場へ入っていったのだが、しばらくその場には、なんともいえないオーラが残っていた。今でも、あの紫のベンツがこちらに向かってくる光景を覚えている。もちろん、道案内をしている場所なのだから、こちらへ来るのは当たり前なのだけれど、それでも「あ、こっちに来るなぁ」と思った感覚まで記憶に残っている。

寺山さんの葬儀でもうひとつ忘れられないのが、入り口の一番前に飾られていた花輪だ。薔薇族から贈られたもので、それが両脇にドーンと、まるで門のように飾られていた。「これはまずくないか」と周りに話したのだが、みんな笑いながら、「寺山さんらしくていいんじゃない」と受け入れていた。その自由な空気が、僕は好きだった。美輪さんを思い出す時、あの日の紫のベンツとともに、そんな天井桟敷の空気までよみがえってくる。合掌。

山田五郎さんと、ファミリーレストランでのオムライス

山田五郎さんとは、一度だけロケをご一緒した。昼食でファミリーレストランに入った時、五郎さんはオムライスを注文した。そして店員さんに、「オムライス、ケチャップたっぷり!」と言った。

運ばれてきたオムライスには、本当にケチャップがたっぷりかかっていた。僕は、「そんな頼み方ができるんだ」と、妙に感心してしまった。それ以来、僕もオムライスを頼む時には「ケチャップたっぷり」と言うようになった。ただ、今はタブレットで注文する店が増え、あの頼み方もなかなかできなくなった。

食事をしながら、五郎さんが当時作っていた分冊百科の話や、若い頃にファッション誌で仕事をしていたこと、ガムテープで靴の裏張りをしていたことなどを聞いた。博識で知られた五郎さんだが、僕に残っているのは、そんな何気ない会話だ。

別の収録では、スタッフが赤いGAPのジャンパーを着ていた。すると五郎さんが、「それ、俺も持っているよ。雨の時は、それを着るんだ」と教えてくれた。おしゃれな人は、雨の日に汚れてもいいように、雨用の服をちゃんと用意しているのだ。その話がなぜか印象に残った。それ以来、雨の日に出かける時には、時々五郎さんのことを思い出す。67歳で亡くなった五郎さんは、最後まで仕事を続けていたという。

ガッツ石松さんとの現場、心に残る素顔

ガッツ石松さんとは、僕がこの業界に入って一年目の頃、映画制作への密着取材でご一緒した。約半年の間に40日以上のロケ。ガッツさんの事務所にも何度も通った。

ガッツさんは、とにかく「止まる」のが嫌いだった。渋滞があれば、すぐに回り道をする。それも、「こんな狭いところに入るの?」という道へ、ベンツでグングン入っていく。僕はロケ車のハイエースを運転して追いかけたが、運転が下手だったので、ガッツさんの車を運転するKマネージャーから、「ロケ車、遅いよ!」と何度も怒られた。何しろ、ベンツにぶつけてはいけないと、僕は超緊張して運転していたのだから仕方がない。

テレビで見るガッツさんは、朴訥とした天然ボケのように見える。でも実際にそばにいると、頭の回転が速く、止まることなく前へ進んでいく人だった。

夜中の2時頃、タクシーを呼べと言われ、僕が外のピンク電話からタクシー会社に電話をかけ続けたこともある。30分ほどでようやく車を捕まえたものの、そこからなかなかお開きにならず、結局一時間以上待たせてしまった。それでもタクシーの運転手さんは「ここまで待ったんだから、とことん待つよ」と言ってくれた。そして乗車した時、ガッツさんはご祝儀として一万円を渡した。そういうところが、いかにもガッツさんらしかった。

初監督・主演映画の撮影では、30キロの減量にも挑んでいた。スタッフが弁当を食べる場面では、僕が食べる役になった。シャケを食べ、ご飯を一口。卵をかじり、飲み込んでから蒲鉾を食べ、またご飯を一口。言われた通りに食べていると、撮影が終わった時には、まったく食べた気がしなかった。カメラに撮られながら食事をするというのは、大変なことなのだと、その時初めて知った。

ガッツさんは20266月、76歳で亡くなった。元WBC世界ライト級王者としての顔だけでなく、俳優、タレントとしても長く人々を楽しませた。その最後に残した言葉は、「ガッツポーズをするたびに、ガッツ石松を思い出していただければ幸いです。OK牧場!」だった。

三人を思い出す時、僕の中に浮かぶのは、肩書きではない。紫のベンツ、ケチャップたっぷりのオムライス、雨の日の赤いジャンパー、狭い道を突き進むベンツ、深夜に待ち続けるタクシー……

人が亡くなったあとに残る記憶というのは、案外そういうものなのかもしれない。

ふと雨が降った時に、五郎さんを思い出す。街で紫色の車を見れば、美輪さんを思い出す。そして、ガッツポーズを見れば、ガッツさんを思い出す。

大きな仕事や功績だけではなく、何気ない一瞬が、その人を僕たちの中に生き続けさせていく。

三人の方々に、心から感謝を。そして、それぞれの思い出に、静かに合掌したい。

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